ベルの不等式の意味



[リスト]
公開日:2018/8/10

ベルの不等式とは、誤解を恐れずに言えば「アリスとボブが出会う確率の上限」を与える不等式のことです。

ベルの不等式

ベルの不等式は、量子力学の入門書によく出てきます。しかし、その不等式の意味は非常にわかりにくいと思います。 そこで本記事では、ベルの不等式の意味をわかりやすく解説してみようと思います。

ベルの不等式の日常的な言葉による説明

ベルの不等式は次のような不等式です。

ベルの不等式:
$$ P(A \cap B) \leqq P(A \cap W)+P(\overline{W} \cap B) $$

(「自分の知っているベルの不等式とちがう」という人は、後述の「いろいろなベルの不等式」を先に読んでください)

ベルの不等式の意味はとてもわかりにくいです。 その理由の一つは、記号$W$, $A$, $B$ が抽象的な表現だからです。 そこで、記号 $W$, $A$, $B$を、次のような日常的な言葉に置き換えて、ベルの不等式を説明します。

$P(A \cap B)$ は「アリスとボブが同時に外出する確率」を意味します。 $P(A \cap W)$ は「天気が晴れて、アリスが外出する確率」です。また $P(\overline{W} \cap B)$ は「天気が雨で、ボブが外出する確率」です。

ベルの不等式は日常的な言葉で表現すると、次のようになります。

ベルの不等式のベン図

可能なケースを次のように分類します。

  1. 天気が晴れでアリスが外出し、ボブも外出する。
  2. 天気が晴れでアリスが外出し、ボブは外出しない。
  3. 天気が晴れでアリスが外出せずボブは外出する。
  4. 天気が晴れでアリスが外出せずボブも外出しない。
  5. 天気が雨で、アリスが外出し、ボブも外出する。
  6. 天気が雨で、アリスが外出し、ボブは外出しない。
  7. 天気が雨で、アリスが外出せずボブは外出する。
  8. 天気が雨で、アリスが外出せずボブも外出しない。

上記のケースはベン図で次のように表現できます。

ベルの不等式

ベルの不等式が成り立つことは次の図でより明らかになります。

ベルの不等式のベン図

これがベルの不等式です。このように、ベルの不等式の意味はベン図で視覚的にわかります。

ベルの不等式に関連する問題

さてここで、次のようなケースを考えてみましょう。

ベン図では次のようになります。

ベルの不等式

すると、ベルの不等式はさらにくだけた次の文章で表現できます。

この設定で、ベルの不等式に関連する問題を出題したいと思います。

問題

下記を問題の条件とする時、アリスとボブが出会う確率の上限は何%か?

ベルの不等式に関する問題の解答

解答は25%です。その解き方を説明します。

念のため、ここで問題が期待している答えを再確認したいと思います。この問題が期待している解答は「確率」ではありません。「確率の上限」です。上限ですので「アリスとボブは、なぜか同時に外出しやすい」というケースを考えても構いませんし、「アリスとボブは、なぜか出会いやすい」というケースを考えても構いません。この問題は「アリスとボブが出会う確率を最大どこまで高くできるのか?」という問いを出題しています。

条件付き確率を計算するため、この問題を晴れの日の場合と雨の日の場合に場合分けします。 最初に晴れの日のケースを考えましょう。

晴れの日の場合

晴れの確率が50%で、晴れの日にアリスが外出する確率は25%です。 そのため、晴れかつアリスが外出する確率$P(W \cap A)$は $ 50\% \times 25\% = 12.5\%$ です。

一方、晴れの日にボブが外出する確率は75%です。 そのため、晴れかつボブが外出する確率$P(W \cap B)$は $ 50\% \times 75\% = 37.5\%$ です。

晴れの日にアリスとボブが出会うためには、少なくとも両者が外出している必要があります。 そのため晴れかつ二人が出会う確率の上限は、小さいほうの、晴かつアリスが外出する確率$P(W \cap A)$、すなわち12.5%となります。

雨の日の場合

雨の確率が50%で、雨の日にアリスが外出する確率は75%です。 そのため、雨かつアリスが外出する確率$P(\overline{W} \cap A)$は $ 50\% \times 75\% = 37.5\%$ です。

一方、雨の日にボブが外出する確率は25%です。 そのため、雨かつボブが外出する確率$P(\overline{W} \cap B)$は $ 50\% \times 25\% = 12.5\%$ です。

雨の日にアリスとボブが出会うためには、少なくとも両者が外出している必要があります。 そのため雨かつ二人が出会う確率の上限は、小さいほうの、雨かつボブが外出する確率$P(\overline{W} \cap B)$、すなわち12.5%となります。

晴れのケースと雨のケースを合わせると…

晴れの日に出会う確率の上限値(12.5%)と雨の日に出会う確率の上限値(12.5%)を合わせると、二人が出会う確率の上限は25%であることがわかります。

つまり、この問題におけるベルの不等式の右辺は25%となります。

ベルの不等式:
$$ P(A \cap B) \leqq P(A \cap W)+P(\overline{W} \cap B) = 25\% $$

したがって「アリスとボブが出会う確率をどこまで高くできるか?」の答えは25%となります。 この問題の条件を満たしている限り、いかなる手段を用いても、これ以上の確率を得ることはできません。 この結論は、天気を晴れの日と雨の日に場合分けできるかぎり、常に正しい結論です。 しかし、おどろくべきことに、量子力学ではこの不等式の左辺が37.5%となるのです! それについて、次に説明しようと思います。

EPR相関の不思議

量子力学に基づく、次のような思考実験を考えます。

EPR相関

発射装置$S$は一個の電子を左側の観測装置$L$に発射し、もう一個の電子を右側の観測装置$R$に発射します。2個の電子の角運動量の合計を0とします。

観測装置はある一つの方向について電子のスピンを測定できます。 不思議なことに、電子のスピンは必ず$+1/2$か$-1/2$のどちらかとなります。 2個の電子の角運動量の合計が0の場合、、 左側の観測装置$L$が方向$W$で、一個の電子のスピン$+1/2$を得た時、 右側の観測装置$R$が方向$W$で、もう一個の電子のスピン$+1/2$を得る確率は100%になります。

ここから、説明が少し難しくなってきます。 左側の観測装置$L$は方向$A$で一個の電子のスピンを測定します。一方、 右側の観測装置$R$は方向$B$で、もう一個の電子のスピンを測定します。 方向$A$と方向$B$の角度差が$\theta$の場合、 左側の観測装置$L$の方向$A$で$+1/2$だった時に、 右側の観測装置$R$の方向$B$で$+1/2$になる確率は、量子力学では次の式で計算できます。

$$ P(B|A) = \frac{ P(A \cap B)}{P(A)}= \cos^2 \left(\frac{\theta}{2} \right) $$

ここで、$P(B|A)$とは、事象$A$が起きた時に、事象$B$が起きる確率です。また、$P(A \cap B)$とは、事象$A$と事象$B$が同時に起こる確率です。 次に例を示します。

方向$A$と方向$B$の角度差は$60^\circ$であるため、 左側の観測装置$L$の方向$A$で$+1/2$だった時に、 右側の観測装置$R$の方向$B$で$+1/2$になる確率は次の式のように75%です。

$$ P(B|A) = \frac{ P(A \cap B)}{P(A)}=\cos^2 \left(\frac{60^\circ}{2} \right) = 75\% $$

確率$P(A)$が1/2であるため、両方の測定装置が電子のスピン$+1/2$を同時に得る確率$P(A \cap B)$は、37.5%となります。

$$ P(A \cap B) = 37.5\% $$

次に別のケースを考えます。 左側の観測装置$L$は方向$A$で一個の電子のスピンを測定します。一方、 右側の観測装置$R$は方向$W$で、もう一個の電子のスピンを測定します。 方向$A$と方向$W$の角度差は$120^\circ$であるため、 左側の観測装置$L$の方向$A$で$+1/2$だった時に、 右側の観測装置$R$の方向$B$で$+1/2$になる確率は次の式のように25%です。

$$ P(W|A) = \frac{ P(A \cap W)}{P(A)}=\cos^2 \left(\frac{120^\circ}{2} \right) = 25\% $$

確率$P(A)$が1/2であるため、両方の測定装置が電子のスピン$+1/2$を同時に得る確率$P(A \cap W)$は、12.5%となります。

$$ P(A \cap W) = 12.5\% $$

さらに別のケースを考えます。観測装置$L$は方向$W$の反対方向で電子のスピンを測定します。(今後、$W$の反対方向を意味する新しい記号$\overline{W}$を使います) 一方、観測装置$R$は方向$B$で電子のスピンを測定します。 方向$\overline{W}$と方向$B$の角度差は$120^\circ$なので、 観測装置$L$の方向$\overline{W}$で$+1/2$だった時、観測装置$R$の方向$B$で$+1/2$になる確率は25%になります。

$$ P(B|\overline{W}) = \frac{ P(\overline{W} \cap B)}{P(\overline{W})}=\cos^2 \left(\frac{120^\circ}{2} \right) = 25\% $$

$P(\overline{W})$が1/2なので、両方の結果が$+1/2$となる確率は、12.5%となります。

$$ P(\overline{W} \cap B) = 12.5\% $$

ここで、ベルの不等式は下記でした。

ベルの不等式:
$$ P(A \cap B) \leqq P(A \cap W)+P(\overline{W} \cap B) $$

上記の不等式の左辺は37.5%ですが、右辺の合計は25%となり、ベルの不等式を破っています。

$$ 37.5\% \gt 12.5\% + 12.5\% $$

このように観測装置$L$と観測装置$R$の間には、本来ならばありえないような不思議な相関が存在します。 この不思議な相関はEPR相関と呼ばれており、実験で確かめられています。(例えば1982年のアスペの実験で確認された)

EPR相関の不思議さは、いったいどこから生じているのでしょうか? それは「測定結果$A$, $B$は、測定していない結果$W$で場合分けできない」ということだと思います。これは二重スリット実験で、結果を、電子が左のスリットを通ったケースと、電子が右のスリットを通ったケースに場合分けできないという事実に似ています。

ベルの不等式が破れる理由

ここでは、ベルの不等式が破れる理由を考えてみたいと思います。

前節で、 EPRの不思議さは「$A$と$B$の測定結果が、測定していない$W$の結果で場合分けできないこと」から生じていると述べました。 しかしながら、驚くべきことに「測定していない$W$の結果」を 空間的に分離できるのです。 その解説の前に、電子のスピンの測定方法を説明したいと思います。

電子のスピンを測定するためには、次のようなシュテルン=ゲルラッハの装置を使います。

シュテルン=ゲルラッハの実験

とがったS極と平坦なN極の間には不均一な磁場が生じています。 磁場の強さは、S極に近づくほど強くなります。 その不均一な磁場を通る電子ビームは二つの軌道に分かれます。 その軌道で、電子のスピンの方向がわかります。 元のスピンがどの方向を向いていたとしても、 必ず磁石の方向に対し、二つの軌道に分かれます。

このシュテルン=ゲルラッハの装置を組み合わせ次のような装置を作ります。

シュテルン=ゲルラッハの実験

上記の装置では、一度分岐した電子ビームが再び合流しています。 後のために、上記の装置を次の図で略記しようと思います。

EPR実験

その装置に、壁$C$を置きます。

シュテルン=ゲルラッハの実験

下側の軌道がさえぎられるので、どちらの軌道を通ったか分かります。 後のために、上記の装置を次の図で略記します。

EPR実験

これらの装置を使い次の思考実験を行います。

EPR相関

電子ビームは装置$F$と装置$G$で、軌道$W$と軌道$\overline{W}$に分離され、再び統合されますが、 それでも装置$L$と装置$R$の間でEPR相関が起きます。

EPR相関

これはとても不思議な結果です。 なぜなら、電子ビームが軌道$W$と軌道$\overline{W}$に分離されていた時点では、電子ビームはケース$W$とケース$\overline{W}$に場合分けできているからです。 場合分けできるならば、ベルの不等式が成り立つはずです。 なぜベルの不等式が破れるのでしょうか?

確かに、電子ビームが軌道$W$と$\overline{W}$に分離している時点では、ベルの不等式は成立しています。 分離した電子ビームが再び合流することで干渉しベルの不等式を破るのです。 この相関は、二つの電子が一つの量子状態を構成していることを意味します。 したがって、ベルの不等式を破る理由は次のようにまとめられます。

いろいろなベルの不等式

実は、ベルの不等式には、いくつか種類があります。それぞれのベルの不等式について説明します。

アイルランドの物理学者ベルは1964年に次の不等式を提案しました。

ベルの不等式(1964年):
$$ |C(A,W)-C(W,B)| \leqq 1+C(A,B) $$

関数 $C(A,B)$ は事象 $A$ と事象 $B$ の相関の強さを意味します。 しかし、その不等式の意味は非常にわかりにくいと思います。 米国の物理学者クラウザーらは1969年にベルの不等式を改良し、次の不等式を提案しました。

CHSH不等式(1969年):
$$ |C(A,B)+C(A',B)+C(A,B')-C(A',B')| \leqq 2 $$

この不等式の意味も、わかりにくいと思います。 ハンガリーの物理学者ウィグナーは1970年にベルの不等式を改良し、次の不等式を提案しました。

ウィグナー=デスパーニアの不等式(1970年):
$$ P(A+;B+) \leqq P(A+;W+)+P(W+;B+) $$

物理学者サクライは1994年に出版された教科書「現代の量子力学」で、上記の不等式をベルの不等式として 紹介 しています。 ここで、関数 $P(A+;B+)$ は、次のEPR実験で、左側の観測装置$L$が方向 $A$で電子のスピン$+1/2$を観測し、右側の観測装置$R$が方向$B$で電子のスピン$+1/2$を観測する確率です。

EPR実験

ベルの不等式(1964年)とCHSH不等式(1969年)は相関の強さの不等式でした。 一方、ウィグナー=デスパーニアの不等式(1970年)は確率の不等式です。 そのため、これまでよりも不等式の意味を理解しやすくなりました。しかし、まだ不等式の意味はわかりにくいと思います。その理由は、左側の観測装置$L$の方向$A$,$B$,$W$と右側の観測装置$R$の方向$A$,$B$,$W$が同じ方向だからです。私は右側の観測装置$R$の方向を次のように180度回転させた方が、わかりやすいと思います。なぜならば、左側の観測装置$L$と右側の観測装置$R$には逆の相関があるからです。

EPR相関

ベルの不等式は、上記のEPR実験に基づいて、次のように集合で表現した方が、不等式の意味がわかりやすいと思います。

$$ P(A \cap B) \leqq P(A \cap W)+P(\overline{W} \cap B) $$

本記事では、上記の不等式をベルの不等式として説明しました。 ベルの不等式はベン図で次のように表現できます。

ベルの不等式のベン図

上記のベン図を見れば、ベルの不等式の意味が、はっきりわかると思います。 実際、フランスの物理学者デスパーニアも1979年にベルの不等式をベン図で説明しました。

まとめ

ベルの不等式は、天気を晴れと雨に場合分けできるならば正しいです。しかし、量子力学の世界では、天気を観測しないとき、天気を晴れと雨に場合分けできないのでした。

アリスがボブと出会ったとき、二人にその日の天気をたずねたら、どのような答えが返ってくるのでしょうか? 実は、量子の世界では不思議なことに、観測しない場合、天気が晴れなのか雨なのかは不確定なままなのです。


関連記事:
ホーム >  量子力学


© 2002-2018 xseek-qm.net


広告

量子革命: アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突 (マンジット・クマール, 青木薫 訳)(2017/1/28) 量子力学の奥深くに隠されているもの コペンハーゲン解釈から多世界理論へ (ショーン キャロル, 塩原通緒 訳)(2020/9/25) 量子力学の多世界解釈 なぜあなたは無数に存在するのか (和田純夫)(2022/12/15)