時間の矢の問題をご存じですか? 時間には物理学者をなやませてきたひとつの問題があるのです。 今回は、この問題について説明してみようと思います。
私たちの身の回りを見わたしてみると、この世界には不可逆な現象が満ちています。
たとえば、水の入ったガラスのコップがテーブルから落ちる様子を想像してみましょう。 ガラスのコップがくだけ散り、水がこぼれる現象は自然です。 一方、くだけたガラスの破片がくっついて、ひとつのガラスのコップが生成され、 こぼれた水がそのコップに収束する現象はとても奇妙です。
このように未来方向の時間と過去方向の時間が明確に異なることはとても自然です。 しかし物理学的に考えるとこの考え方が異なってくるのです。
おどろくべきことに、物理学的に時間を考えると、 時間は過去方向も未来方向もほとんど変わらないのです。
たとえば2個のボールが衝突する様子を考えてみましょう。 二つのボールはたがいに接近した後、衝突して、はなれてゆきます。 この現象をビデオで撮影します。 この映像を逆向きに再生しても、物理法則に反するところはなにもありません。 すべての物理理論は、時間について対称なのです。
K中間子という素粒子の崩壊現象では理論的に時間反転対称性の破れが予想されていますが、実験的に検証されていません。 仮に時間反転対称性の破れがあったとしても、日常的にみる過去と未来の時間方向のちがいを生み出すものではありません。
熱力学的には、熱力学第2法則というものがあります。 その法則は、乱雑さの度合を示すエントロピーという量が未来に向かって増大すると述べています。 これが過去と未来の非対称性の原因なのではないのと考える人もいるかもしれません。 しかし、これは経験則であり、なぜエントロピーが増大するかはよくわかっていません。
なぜ、時間は未来方向にしか流れないのでしょうか? たとえば、この世界が映画のテープのような世界だと考えてみましょう。 すると、ひとつの疑問が生じます。 なぜこれほどまでに、二つの方向に非対称性が存在するのでしょうか? 片方のはしにはビッグバンが存在し、もう片方向は、無限に続いています。
多世界解釈と時間の矢の関係について私は次のように考えています。
多世界解釈では、異なる時間に属する世界は、多世界の一種とみなします。 また、多世界解釈では、映画のテープのようにひとつの歴史があるのではありません。 くもの巣のように、さまざまな歴史が広がっていきます。 各世界には、時刻というインデックスが割りふられるわけではありません。 各世界の差異のみが存在します。
たとえば、その世界の時計が時刻 t を指している世界を考えてみましょう。 この世界から遷移する世界は、可能性として、さまざまな世界が考えられます。 それらのほとんどの世界の時計では時刻 t + 1 を指していますが、 一部の世界では、 t - 1 を指しているかもしれません。
しかし、その世界の時計が時刻 t + 1 を指している世界が圧倒的に多いので、 私たちはほとんどの場合に時間の進行を観測します。 これが多世界解釈による時間の矢の説明です。 エントロピーの大きい世界は、エントロピーの小さい世界より多いので、 エントロピーの大きい世界へ遷移しやすいのです。
しかし、将来エントロピーが最大値を示したときに、 このような世界間の遷移が発生したとしても、時刻の進行は観測できないでしょう。 つまり、エントロピーが最大の世界では、正しく機能する時計は存在しないと考えています。
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